東京五輪の開会式まで「あと47日」となりましたが、日本のワクチン接種状況は各国と比べてかなり遅れたままです。

NHKの特設サイトが厚労省や首相官邸の情報を元に公表している日本国内の接種回数は、

15,607,525回(6月3日時点) *

ということで、7.4億回を超えた中国や3億回に迫る米国、2.2億回を超えた英国などの接種上位の国とは著しい差がついてしまいました。 *2

同サイトで公表されている「Our World in Data」の集計データ(6月6日更新)による「少なくとも1回接種した人」の割合でも日本が9.21%で、上位4か国(カナダ60.48%、英国58.85%、チリ58.25%、米国50.75%)には大きく出遅れています。

ワクチン 接種が完了した人」の割合で見ると、日本は3.13%にとどまっており、上位4か国(イスラエル59.35%、チリ43.9%、米国41.1%、英国39.48%)との差がさらに顕著になります。 *2

このような状況ですから、「五輪中止」の圧力が内外から高まっているのも当然のことでしょう。

5月26日には、「東京2020オフィシャルパートナー」である朝日新聞までが、「東京五輪の中止」を首相に求める社説を掲載したのが印象的でした。 *3

それでも、昨年「1年程度の延期」決定がなされたのが3月24日だった *4ことを思い出すと、すでに政府は「中止決定」すらできない状態に突入しているのではないかと思えてきます。

感染拡大を抑え込めるところまでのワクチン接種がいつ完了するのかすら全くわからない状況であるにも関わらず、五輪を強行開催するのは狂気の沙汰としか言いようがありませんが、その狂気はもう止まらないのでしょうか……。

実は、個人的に心配していたのが、昨今現実社会に大きく影響を与えるようになってきた、

陰謀論

の存在です。とりわけ「反ワクチン」陰謀論は有害であり、これに取り込まれる人が増えてしまえば、公衆衛生に対する大きな脅威になりかねません。

幸いにも現在のところ、「反ワクチン」の影響はそれほど顕著ではないようで、ワクチン接種の遅れは、

ワクチン敗戦」 *5

という言葉に象徴されるように、政府の対応のまずさに起因しているようです。

それでも、国内にそうした陰謀論の危険が皆無という訳では決してなく、本日付の東洋経済オンラインにも気になる記事が掲載されていました。

コロナワクチンをめぐる不穏な動きが一部で見受けられる。ワクチンが人口削減のため生物兵器だとする陰謀論や、ワクチンがヒトDNAを改変するといったデマの流布である”

*6

ソーシャルメディア上では、「コロナワクチンを接種すると5GやBluetoothに接続される」という説がまことしやかに取り沙汰され、「コロナワクチンは秘密結社が世界支配と人類削減を進める手段だ」と固く信じている人もいる”

*6

という具体的な指摘を見れば、大多数の人は荒唐無稽に感じるだろうと思うのですが、これを大真面目に捉えたり、拡散している人が確かに存在していることは軽視できません。

ハーバード大学の心理学教授、スティーブン・ピンカー氏は著書『21世紀の啓蒙』で、水道水の消毒法や合理的な薬物の設計法、抗生物質や各種ワクチン等の発明・開発を成し遂げた科学者の名前を列挙し、

疾病制圧の功労者たちを忘れてはならない

と強調しています。そして、

 ある研究グループがこうした数字をそれぞれ控えめに見積もったうえで集計したところ、わずか一〇〇人ほどの科学者の功績によって(これまでだけで すでに)五〇億人を上回る人々の命が救われたことがわかった”

*7

ことも紹介しています。

実際、我々日本人が当然のように受けている、麻疹、風疹、おたふく風邪のワクチンや、BCGなどの恩恵も、計り知れないほど大きなものです。

それでも、いまだにワクチンへの不信感を根強く持っている人々がいるのは、こうした恩恵を嘘で台無しにしてしまうような“権威”の責任も大きいようです。

1998年に、英国のアンドリュー・ウェイクフィールドという医師が、

新三種混合(MMR)ワクチン予防接種で自閉症になる

という論文を、権威ある医学雑誌の『ランセット』に発表しました。

結論から言えば、この論文は捏造されたもので、その内容は根拠のない誤りだったために、同誌は2010年に同論文を撤回しています。

さらに同年、ウェイクフィールド氏はこの論文が不正と結論されたことにより、医師免許を剥奪されました。

問題は、科学的に根拠のないことが明らかにされたにも関わらず、その影響がいまだに残っていることです。 *8

全く状況は異なるものの、様々な経緯によって、日本国内の接種率が非常に低くなってしまった子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)の問題もあります。 *9

つまり、陰謀論のような「事実でない」情報が広まることで、公衆衛生への脅威のように、社会への悪影響が生じる時代に我々は生きているということです。

先程も触れたピンカー氏は『21世紀の啓蒙』で、歴史学者のデイヴィッド・ウートン氏を引用し、科学革命以前の1600年に、典型的な教養あるイングランド人が、この世界をどう見ていたかについて記しています。

“ 彼は魔女が風を呼び、船を沈めることができると信じている(中略)。オオカミ人間を信じているが、幸いなことにイングランドにはおらず、見つかるとしたらベルギーだと思っている(中略)。魔女が本当にオデュッセウスの部下たちをブタに変えたと信じている。ネズミは藁の山から自然発生すると信じている……”

*10

 だが一三〇年後には、このイングランド人の子孫はこれらのどれ一つとして信じていなかったわけで、大きな変化だったことがよくわかる。またこの革命は無知からの解放であるとともに、恐怖からの解放でもあった”

*10

これを見れば、昔の人は迷信深かったと改めてお感じになるかもしれません。

しかし、事実ではないことを信じてしまう人がいまだに少なくないことを考えれば、我々がまだまだ進歩の途上にいることに変わりはないのではないでしょうか。

昨年の米大統領選で広まったQアノンの陰謀論などはまさに荒唐無稽極まりないものであるにも関わらず、トランプ前大統領を支持する人々を連邦議会に突入させ、5名もの死者を出すなど、現実世界に大きな影響を及ぼしてしまいました。

昨年ネットで話題になった、

陰謀論チャー」*11

に列挙されている陰謀論は、上に行くほど現実から遠ざかり、有害度が高くなっていきます。

ご覧になったことがない方は、4段階目以上のところに何が書いてあるのかを、ぜひ注意深くご確認ください。

残念ながら、かつては一部のマニアの嗜みであったはずの陰謀論が、現実の社会に大きな影響を与える時代が、すでに我が国にも到来してしまったようです。

・偽ニュースを見抜く能力が低い人ほど、それを拡散させる傾向がある *12

ことや、

・保守層の方が偽ニュースを信じがちな傾向がある *13

というニュースもありますので、私も「人の振り見て我が振り直」すことを心がけたいと思います。

なお、ザ・リアルインサイト6月号では、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏
インタビュー

超地政学〜情報工作に惑わされずに激動の世界情勢を読み解く術

を配信中です。

全編で177分に及ぶ大長編ですが、特に「後編」の後半は、陰謀論やフェイクニュースに騙されないために何をすべきかについて、具体的にご教示いただいています。

会員の方は、こちらもぜひじっくりとご視聴ください。

それでは、また。

リアルインサイト
今堀健司

【参照・引用元】

* 新型コロナ ワクチン情報一覧
(NHK 特設サイト 新型コロナウイルス)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/

*2 世界のワクチン接種状況
(NHK 特設サイト 新型コロナウイルス)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/world_progress/

*3(社説)夏の東京五輪 中止の決断を 首相に求める
(2021年5月26日 朝日新聞デジタル)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14916744.html

*4 焦点:五輪延期の包囲網、日本とIOCが読み誤った国際世論
(2020年3月27日 ロイター)
https://jp.reuters.com/article/insight-tokyo-olympics-idJPKBN21E08W

*5 「ワクチン敗戦」の日本、開発強化求め続けた教授の問いに官僚はうつむくだけ…
[政治の現場]ワクチン<6>
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210601-OYT1T50055/
(※全文を読むには有料購読が必要です)

*6 ワクチン陰謀説を信じる人を強く煽る恐怖の正体 生物兵器、DNA改変、死ぬなどの情報が出回る訳
(2021年6月6日 東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/432357

*7 スティーブン・ピンカー著『21世紀の啓蒙:理性、科学、
 ヒューマニズム、進歩(上)』 pp.129-132
https://www.amazon.co.jp/dp/4794224214
 “ある研究グループ”については、 以下を参照
『Scientists Greater Than Einstein: The Biggest Lifesavers of the Twentieth Century』(Billy Woodward, Joel Shurkin著,Quill Driver Books,2009年)
https://www.amazon.co.jp/dp/1884956874

*8 「ワクチンは怖い」と思う人に知ってほしい ワクチンの効能「免疫は自然につく」なんて本当か
(2020年3月19日 プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/33561

*9 HPVワクチンは他の国ではどれぐらい打たれているの? 〜世界と日本で大きく違う状況〜
(2020年3月16日更新 みんパピ!)
https://minpapi.jp/hpvv-immunization-rate/

*10 スティーブン・ピンカー著『21世紀の啓蒙:理性、科学、 ヒューマニズム、進歩(上)』pp.36-37
https://www.amazon.co.jp/dp/4794224214

*11 段階1はジョン・レノンをFBIがスパイ、段階5は…5段階「陰謀論 信じたら危険度チャート」がSNSで話題─整理したら見えてきた現実との境界線
(2020年10月28日 クーリエ・ジャポン)
https://courrier.jp/news/archives/216895/

ネットで話題の「陰謀論チャート」を徹底解説&日本語訳してみた
(2021年5月3日 ハーバー・ビジネス・オンライン)
https://hbol.jp/242665

*12 偽ニュース見抜く能力、大半が過信 能力低い人ほど拡散させる傾向 米調査
(2021年6月1日 CNN.co.jp)
https://www.cnn.co.jp/fringe/35171608.html

*13 ネットに流れる偽ニュース、保守層の方が信じがちな傾向 米調査
(2021年6月3日 CNN.co.jp)
https://www.cnn.co.jp/tech/35171762.html

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