今回は、前回お届けした
の続きです。
AIが「ディストピア」をもたらす可能性、つまり悲観論の中で最も現実的なのはやはり、
「仕事を奪われる」
ということだと思います。
今存在している仕事、職業の大部分は、AIという機械に代替されるときが近づいていると予測するところまでは楽観論と変わりませんが、結果として出来する事態を、
・人類が労働から解放されてより自由になることだ
と考えるか
・大多数の人類が失業して路頭に迷うことだ
と考えるかで、結論は大きく違ったものになります。
「ディストピア」が現実になるとしたら、もちろん後者ということですね。
ところで、
「機械が仕事を奪う」
と聞けば、世界史の教科書に登場する、
「ラッダイト運動(Luddite movement)」
を思い出される方も少なくないことでしょう。これは、産業革命で登場した機械(主に自動織機)が労働者の雇用を奪うことへの恐怖が、
「機械の破壊」
という実力行使につながったものです。
また、
「機械が仕事を奪う」
という事態を、
ザ・リアルインサイト2018年6月号のインタビューに登場された京都大学大学院准教授の柴山桂太氏が、カール・マルクスの先見性として引用されていた用語で言えば、
「資本の有機的構成の高度化」
ということになります。
詳しくはいくつかの事典に記載された説明をまとめた上記ページでご確認いただければと思いますが、
要は、資本主義の発展とともに原材料や機械などの「生産手段」(不変資本)へ投下される資本部分が増加し、労働生産性が向上する
↓
これによって「労働力」(可変資本)に投下される資本部分が減少し、相対的過剰人口(失業)がもたらされる。
つまり、
「資本の有機的構成の高度化」が意味するのは、生産性向上のための機械化が、労働者の雇用を奪うために、失業率が上がる
ということですね。
その意味では、「機械が仕事を奪う」という事自体は資本主義の発展において必然的に、何度も繰り返されてきた事であると考えることもできるかもしれません。
現在の多くの仕事がAIに代替されても、代替できない新たな仕事が生まれるので問題ない
と楽観的な観測をしている方々も少なくないようです。
しかし、これからご紹介する書籍の著者は、少し違った視点で語っています。
AIは旬の話題なので、膨大な関連書籍が出版され続けています。それでも、その多くは専門外の著者によるもので、
・バラ色の未来を喧伝する
か、
・人類の仕事がなくなる
のどちらかを強調したものが大半を占めている印象です。その中で、今年出版されたこちらの書籍はそのどちらでもない「起こりうる」変化を平易に説いたものとして説得力を感じました。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著,東洋経済新報社,2018年)
著者の新井紀子氏は元々数学者ですが、国立情報学研究所社会共有知研究センター長で、
というプロジェクトを推進している人物です。
同書の帯の裏には、
AIが神になる?・・・・・・なりません!
AIが人類を滅ぼす?・・・・・・滅ぼしません!
シンギュラリティが到来する?・・・・・・到来しません!
とあります。つまり、現在世間一般に流布している言説を殆ど斬って捨てているようなものですが、それぞれに根拠が説明されています。
一点、ご注意いただきたいのは、この著者もAIの「開発者」ではないことです。
しかし、
- AIはいまだ実現していない
- シンギュラリティはこない
としている根拠には、それなりのものがあります。
簡単に言えば、
- 真の意味でのAI(人工知能)は未だ存在していない
- 一般的に使われている「AI」は、AI技術(AIを実現するために開発されている様々な技術)のことである
ということになります。
そして、人工知能と言うからには、人間と同じ知能(少なくとも、同等レベルの知能)でなければならないはずですが、コンピュータが行っていることは基本的に計算(四則演算)なので、人工知能の目標は、
- 人間の知的活動を四則演算で表現する
か
- 表現できていると人間が感じる程度に近づける
ことであるとしています。
つまり、現在の技術開発の延長線上には、知性や意思といったものを持ったAIが実現する未来はないということになるのでしょう。
真の意味のAIが実現する可能性としては、
- 人間の知能の原理を数学的に解明して、それを工学的に再現する
- 知能の原理がわからなくても、あれこれ工学的な試行を繰り返しているうちに偶然AIができる
ことしかないとしていますが、おそらくこれはその通りだと思います。
2はあり得ないとまでは言えなくても、その確率は著しく低いものでしょうし、1を実現するには、人間の知能の科学的解明、すなわち脳のリバースエンジニアリングを実現する必要があるでしょう。
前出のレイ・カーツワイル氏は、
われわれの脳の正確な数学的モデルを構築して、コンピューティングを用いてモデルをシミュレートすることは、難しくはあるが、データの能力が高まりさえすれば実行可能な作業であることがわかっている
『シンギュラリティは近い』P.146
と楽観的ですが、同著の前ページで引用されている精神科医のピーター・D・クレイマーという人物の、
精神が、われわれに理解できるほど単純だとすれば、われわれはあまりにも単純すぎて、精神を理解することはかなわないことになる
『シンギュラリティは近い』P.145
という言葉には、深い含蓄を感じます。
そもそも人間が持つ
知性、意思、思考
というもののメカニズムや、さらに言えば、
自我、精神、心
というものの正体まで工学的に解き明かす事ができる未来は、訪れるとしてもそれ程近い時期ではなさそうな気がします。
現在のAI技術が部分的に人間を凌駕する能力を発揮していることは事実ですが、
カーツワイル氏が「指数関数的な成長」と表現している技術の進歩も、その大部分は計算能力と計算速度の向上であって、
人間の知能の原理を数学的に解明して、それを工学的に再現するためには、質の異なるイノベーションなりブレークスルーが必須でしょう。
それでも、新井氏が進めている「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトのロボット、「東ロボくん」は、既に恐るべき成果を上げています。
それは、いわゆるMARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)や、関関同立クラスの難関私大の複数学部で合格可能性80%という判定を得ることに成功しているということです。
それにもかかわらず、プロジェクトが開始された2012年の時点から、新井氏を含めた関係者の中には、
- 近い将来にAIが東大に合格できる
と思う人は一人もいなかったそうで、それは現在も変わっていないということです。プロジェクトの本当の目的は、「東ロボくんを東大に合格させる」ことではなく、AIには何ができて何ができないのかを見極め、AIと共存していく社会に備えること
だとしています。
そして、この著作(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』)での主張の主眼は、「AIに代替されてしまう仕事や能力とはどういったものか」という点に踏み込んだ
上で、現在の教育における問題点を指摘している部分にあります。
簡単に言えば、「教科書が読めない」つまり、読解力に問題があり、科目を問わずテストの問題文が理解できていない子供が少なくない
ために、
AIに代替される職業にしか就けない可能性が高いのではないか
という問題提起です。
そして、著者らは中高生の基礎的読解力を図るためのRST(リーディング・スキル・テスト)というものを開発し、複数の中学校や高等学校の協力を得て、同テストを実施しているそうです。
その例題が複数紹介されており、問題の内容ごとに中高生の正答率が紹介されているのですが、その結果には、驚かされてしまうものが少なくありません。
同書に登場するRSTの問題から、個人的に最も衝撃を受けたものを引用してみます。
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次の文を読みなさい。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから一つ選びなさい。
セルロースは( )と形が違う
1.デンプン 2.アミラーゼ 3.グルコース 4.酵素
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衝撃的だったのは、この問題についての次の一文です。
「某新聞社の論説委員から経産省の官僚まで、なぜかグルコースを選ぶので驚きました(後略)」
同書では、他にも複数の問題とその正答率が紹介されていますので、是非お手に取ってチャレンジされてみると面白いでしょう。
なお、RSTの問題は「使い回す」ために公開されておらず、第三者の検証等を経たものでないこと等から、盲信すべきものではないかもしれません。
それでも、教育現場にこのような問題が存在する可能性については、今後より深く研究されることが望ましいのではないかと思われます。おそらく、こうした視点自体が従来の教育論議に欠けていた可能性は高いでしょう。
小中高の七五三
という言葉があります。
『「教育七五三」の現場から-高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ』(瀧井宏臣著,祥伝社,2008年)
というそのものズバリのタイトルを冠した書籍がありますが、
小学校で3割
中学校で5割
高校で7割
が落ちこぼれている(授業についていけていない)という意味ですね。私も子供の頃に聞いて、「そんなものかもしれない」と感じた記憶がありますので、遅くとも80年代にはある程度知られていたのではないでしょうか。
もちろん、地域や各学校で大きな相違が生じるでしょうし、この表現自体がどの程度妥当なものかはわかりません。
それでも、授業についていけない子供は常に一定の割合で存在しているでしょうし、学年が上がればその比率は上昇していくと考えるのが自然でしょう。
この原因にも、「読解力」は大きな影響を与えているのではないかと思われます。
そして、問題がこれに限定されるとは断定できないものの、大多数の子供が将来就くであろう職業は、既に実現が見えているAI技術に代替されるばかりでなく、代替できない新たな仕事が生まれるとしても、それにスムーズに移行できない可能性すら高いことが本当の問題だというのが、
同著の指摘なのです。
昨年4月にこの新井氏がTEDで行ったプレゼン動画がこちらでご覧になれます(字幕付きです)。
プレゼン自体は12分強というとても短いものですが、実に見事に前掲書のエッセンスが語られています。
結論としては、
- 巷間騒がれているAIは実現しておらず、近い将来に実現する可能性も低い
- シンギュラリティは近い将来に来ない
- しかし、AI技術の進展で大多数の職業が代替されてしまう未来が近い可能性は高い
という主張であり、これには個人的に説得力があると感じました。
その上で、AIに代替されない職業に就く能力を身につけるためには、読解力の向上が欠かせない
という解決策につながるのですが、私はこれについては懐疑的です。本当にこれだけで問題が解決されるとは思えませんし、現在登場している新しい職業や、今後生まれるであろう職業として挙げられているる例についても、あまり希望の持てるものではありませんでした。
現実的な未来として考えられるのは、メガバンクの大量人員整理に象徴されるように、現在の「ホワイトカラー」の仕事がAI(技術)に代替されていく流れが止められないのではないかということです。
つまり、成り行きに任せていれば、AIの進歩が「ディストピア」を実現する可能性は、決して低くないと思われます。このまま放置すれば、貧富の格差を現在よりも強烈に拡大させることにつながる可能性が高いのではないでしょうか。
既に起こったグローバル化や、新自由主義の蔓延によってもたらされた結果と同じ、いえ、もっと酷い状況が出現する可能性は十分に考えられます。
そうした未来を「ディストピア」としないためには、現在のように全てを市場に任せるような対応ではなく、
「再分配」
の適正化のために、政府が介入していくこと以外にないのではないかと思います。
また、AIに限らず、テクノロジーの進展は、それだけで必ずしも人類を幸福にするものではないことは間違いないでしょう。
この点については、イノベーションを起こしてきた側の著名な人物らが採っていた教育方針も参考になります。
ジョブズは自分の子どもにiPadもiPhoneも触らせなかった(2014年10月9日・現代ビジネス)
Billionaire tech mogul Bill Gates reveals he banned his children from mobile phones until they turned 14(2017年4月21日・The Mirror)
↓
こちらで要約が読めます。
ビル・ゲイツ氏いわく「自分の子どもには14歳になるまで携帯を持たせなかった」(2017年4月24日・Gigazine)
今回も長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございます。
何かのご参考としていただければ幸いです。
リアルインサイト 今堀 健司