今回のタイトルは、皆様もよくご存じの通り、

人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ

と続きます。

福澤諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭に登場する言葉ですね。

學問のすゝめ(国立国会図書館デジタルコレクション)

『学問のすすめ』(新字新仮名・青空文庫)

実は、「ト云ヘリ」の部分が重要なのですが、しばしば見落とされています。

それどころか、この部分がすっぽり抜け落ちて、

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

という部分だけが引用されることの方が多い位です。

ここだけ抜き出すと、福澤がまるで単純な平等主義者のように捉えられてしまうでしょう。実際に、辞書ですら多くがそのような解釈を採っています。

「生来、人間は平等であり、貴賤・貧富の差別は初めからあるものではない。」(小学館『大辞泉 第二版』)

「人は本来平等であって、貴賤上下の差別はないということ。」(三省堂『大辞林 第三版』)

「人間はすべて平等であって、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではないということ。」(故事ことわざ辞典)

これらは、誤りとまでは言えないかもしれません。しかし、福澤が本当に言いたかったことを半分しか伝えていないように思われます。

というのも、福澤は現在の大分県中津市、豊前国(ぶぜんのくに)中津藩(なかつはん)出身の下級武士であり、

生涯「封建制度に束縛せられて何事も出来」なかった「亡父の心事を察して独り泣くことがあ」るとして、「私の為めに門閥制度は親の敵(かたき)で御座る

『福翁自伝』・青空文庫

とまで言っているように、

身分が低い生まれの人間が重用されることのない封建制度に批判的であったことは間違いないでしょう。

だからといって、

全ての人は平等に扱われなければならない

などとナイーブな結論に至っているわけではないことに、注意が必要です。そもそも、

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

というのは、福澤自身の言葉ではありません。出典は、「アメリカ合衆国建国の父」の一人で第三代大統領も務めた、トマス・ジェファーソンが起草した

「独立宣言(United States Declaration of Independence)」(米国立公文書館 NATIONAL ARCHIVES)

の一節を訳したものであるという説が有力だそうです。

「考証・天は人の上に人を造らず……」[慶應義塾豆百科] (慶應義塾大学)

そして、その後に続く「云へり」は、「云(言)われている」という意味なので、

「世間ではこう云われている」

という書き出しなのですが、もう少し後には以下のような続きがあります。

「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。」

つまり、

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

と巷間云われているにも関わらず人間社会には、

賢い人と愚かな人、貧乏人と金持ち、貴人と下人

がいて、それぞれに「雲泥の差」が厳然としてある。それは何故か?

という問いかけなのですね。

そして、その答えは、

「人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。」

というものです。

生まれながらの「貴賤・貧富の別」を否定しつつも、

「学問を勤めて物事をよく知る者」

「貴人・富人」

となって、反対に「無学なる者」は

「貧人・下人」

になるのだと主張しているのです。

であるからこそ、学問を修めることを強く推奨するために、

学問のすゝめ

を著したのだと言えるでしょう。

代表作と言ってよいほどに、おそらく最も知られているであろう著作の、しかもその緒言ですら、実はほとんど正しく理解されていない可能性が高いとしたら、非常に残念なことなのではないでしょうか。

そして、この緒言が単純な平等主義に基くものでないことは、同書内に

愚民

という言葉が頻出することからも明らかです。

例えば、

「西洋の諺に『愚民の上に苛(から)き政府あり』とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災いなり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。」

という記述があります。政府が勝手にそうしているのではなく、民が愚かであることこそが苛政を招く真因であるという指摘ですね。

福澤が目指したのは、日本が欧米列強に伍する力を持った国として、「自由独立」を果たすことでした。様々な立場の人々が「その分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立」することによって、

天下国家も独立すべきなり

という啓発を行ったわけです。そして、これは当時の国民に広く受け入れられました。

学問のすゝめ』は明治5年(1872年)の初編から明治9年(1876年)の十七編まで刊行されましたが、福澤自身が340万部(!)以上売れたはずだと述べています。

「其発売頗る多く毎編凡そ二十万とするも十七編合して三百四十万冊は国中に流布したる筈なり」

『福澤全集緒言』P.75(慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション)

当時の推計人口が3500万人前後*であることを考えると、まさに「驚異的」な
ベストセラーと言えるでしょう。

*『日本統計年鑑』P.36(総務省統計局)

これほど広く人口に膾炙したはずの、『学問のすゝめ』すら、我々は忘れてしまっているのかもしれません。

ザ・リアルインサイト2018年8月号では、前回ご紹介した中野剛志(なかの たけし)氏の講演会収録映像と同時に、批評家で国士舘大学客員教授の小浜逸郎(こはま いつお)氏のインタビュー収録映像を配信しています。

1つ目のテーマ「いまこそ福澤諭吉に学ぶ、現代日本の危機を超える視座

では、知られざる福澤諭吉の精神に迫っていただきました。

残念ながら、「天は人の上に〜」に限らず、福澤には実に多くの誤解がまとわりついています。

  • 福澤諭吉は平等主義者であった。
  • 福澤諭吉は欧化主義者であった。
  • 福澤諭吉は国権主義者であった。
  • 福澤諭吉は経済に疎かった。
  • 福澤諭吉は転向して「脱亜論」を書いた。

小浜氏は、現在ではあまり注目されない多くの福澤の著作を丹念に繙くことで、これらが誤りであることを明らかにされました。

のみならず、「政治論」、「学問論」、「経済論」、「脱亜論」といった幅広い分野における、福澤の恐るべき先見性も語られます。

  • 現代でも通用する福澤の「通貨論」とは?
  • 『丁丑公論』で西郷隆盛を擁護した理由
  • 何が吉田松陰と福澤の運命を分けたのか?
  • 「授業料」を発案した福澤の経済観
  • 全く語られることのない「愚民」多用の理由
  • 「為政者の賢愚は人民の賢愚の反映」という信念

まだご覧になっていない会員の方は、是非今すぐご視聴下さい。福澤という人物の偉大さに改めて驚愕を覚えられるとともに、現在の政治・社会の閉塞状況を打破するために必要なものにもお気づきいただけるはずです。

そして、

今年5月に刊行された小浜氏の
『福澤諭吉 しなやかな日本精神』

も是非合わせてお手にとっていただければ幸いです。

リアルインサイト 今堀 健司

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