おはようございます。リアルインサイトの今堀です。

本日は「終戦記念日」ですね。与野党が談話を発表していますが、それとは少し異なる視点から、「8月15日」に関するある書籍をご紹介させていただきます。

『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(佐藤卓己著,ちくま新書,2005年)

『増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学』(佐藤卓己著,ちくま学芸文庫,2014年)

私がこの本の存在を知ったのは、ザ・リアルインサイト2018年7月号のインタビューにご登場いただいた、白井聡(しらい さとし)氏がご著作で引用されていたためです。

『永続敗戦論――戦後日本の核心』 (白井聡著,講談社+α文庫,2016年 ※原著は2013年)

白井氏は、インタビュー内でも『八月十五日の神話』に触れられていますが、同書は、丹念な調査と取材に基いて、現在の日本国民がなぜ、8月15日を「終戦記念日」としているのかを問い直した良著でした。

「8月15日」のみを特別な日として受け入れていく社会的な流れがメディアの主導で活発化していったのは、実は1950年代以降のことであったという歴史的事実が明らかにされています。(また、玉音放送が正午になされた15日“当日”の朝日新聞東京本社版に、なぜ皇居前で泣き崩れる「民草の姿」が掲載されているのかなど、興味深い事実も多数登場します)

8月15日に靖国神社に参拝した初めての首相は1975年の三木武夫(みき たけお)氏ですから、その頃までには「終戦記念日」として完全な定着に至っていたのでしょう。

ここで、先の大戦の終結を改めて振り返ってみます。

日本に対する降伏勧告である

「ポツダム宣言」(Potsdam Declaration, 米英支三国共同宣言)

が発表されたのは、

1945年(昭和20年)7月26日のことです。

ちなみに、安倍首相はかつて

ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかり叩きつけたものです」

と発言していたことを、共産党に突っ込まれていました。

ポツダム宣言の歴史知らず 「戦後レジームの打破」とは(2015年5月22日,しんぶん赤旗)

確かにこれはマズイですね。さらに、こんなことを「閣議決定」しています。。。

ポツダム宣言「首相は当然読んでいる」 政府答弁書(2015年6月2日,産経ニュース)

話が逸れましたが、昭和天皇の「ご聖断」により、日本政府がポツダム宣言の受諾を決定したのが、

8月14日

でした。

そして、重光葵(しげみつ まもる)外務大臣と梅津美治郎(うめづ よしじろう)参謀総長が、東京湾に停泊していた米海軍の戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名したのが、

9月2日

です。

連合国は、この日を「対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)」(略称:VJ Day)としています(一部例外あり)。

それでは、

8月15日

には、何があったのでしょうか?

そう、昭和天皇の

玉音放送

ですね。

ポツダム宣言受諾を当事国に通告した14日に録音された玉音を、ラジオで放送することで、広く国民に「降伏」の事実を伝えた日、ということになります。

「戦後70年」を迎えた2015年8月の1日付で、宮内庁が原盤レコードの音声を公開しました。

終戦の玉音放送(宮内庁)

古いレコード特有の雑音はありますが、原盤だけあって、明瞭に聞き取れます。また、原文である「大東亜戦争に関する詔書」も全文が掲載されています。

但し、公開されている音声ファイルはWindows向けのファイル形式のみなので、それ以外の環境の方は、共同通信社が字幕付でYouTubeにアップしているこちらの動画をご覧下さい。

つまり、8月15日とは本来、降伏勧告の受諾を国民に周知した日であるに過ぎず、国際的にはあまり意味のない日付ということになります。それではなぜ、現在の日本国民の大多数が何ら疑問を持つことなく、8月15日を

終戦記念日

と捉えるようになったのか?

それには、様々な要因が絡んでいます。

  • 「降伏」の忘却
  • 1955年「経済白書」
  • 「もはや戦後ではない」との関係
  • 「反省=占領」から「終戦=平和」へ
  • 「記念日カルト」の国際的流行
  • 民族的伝統「お盆」との関係

『八月十五日の神話』をご一読いただければ、意外なものも含めて様々な事情が複雑に作用していったことがご理解いただけると思います。

個人的に衝撃的だったのは、

大東亜戦争(太平洋戦争)を経験された方々が、現在よりも数多くご存命であった時期に、このような変化が受け入れられていった事実です。

白井氏は、『永続敗戦論』の中で、戦後日本の問題点を様々に論じていますが、根底にあるのは「敗戦の否認」であるという指摘には、説得力があります(会員の皆様は、是非改めて2018年7月号インタビューをご覧下さい)。

戦後

を考えるにあたって、その起点をどこに置くのかを、改めて考えてみることには意義があると思います。「戦争」は、当然ながら複数の当事国がなければ起こり得ません。国際法上、戦争状態の公式な終結は当事国間の「平和条約(講和条約)」締結によるものとされています。

日本とロシア(旧ソ連)の間では、北方領土問題が未解決のため、いまだに平和条約は締結されていませんが、それに変わるものとして1956年(昭和31年)に

日ソ共同宣言

への署名がなされました。

日ソ・日露間の平和条約締結交渉(外務省)

身近なところでは、朝鮮戦争(1950年〜1953年)も「休戦協定」が結ばれて以降、60年以上も「休戦」状態が続いていましたが、漸く「終戦宣言」が現実味を帯びてきたようです。

南北首脳会談 朝鮮戦争の年内終戦宣言へ布石 国連総会前(2018年8月13日,毎日新聞)

それでは、日本と連合国との戦争状態が公式に終結したのはいつでしょうか?

それはもちろん、「サンフランシスコ講和条約」が発効し、独立を回復した

1952年(昭和27年)4月28日

ですね。

その意味では、真の「終戦記念日」は

4月28日

というべきでしょう。

見落としがちなのは、6年半以上に及んだ

占領期間

は、

戦後

ではなく、戦争状態が継続していた時期であるという事実です。

1947年(昭和22年)5月3日の「日本国憲法」施行

も、

1950年(昭和25年)8月10日の「警察予備隊」設置

も、

戦争状態が継続していた占領期間になされたものです。

正確に言うならば、大東亜戦争(太平洋戦争)は、1941年12月から1945年8月までの3年8か月ではなく、実に10年以上の長期間継続していたということになります。

敗戦の否認」もさることながら、占領下で何が行われたのかについては、いまだによく知られていない事実が多々あります。

ザ・リアルインサイト2018年9月号では、作家で評論家の佐藤健志(さとう けんじ)氏の講演会収録映像を配信予定です。

平和主義は貧困への道〜戦後日本の根源を疑え」

をテーマとして、占領期に始まる戦後日本の文化の本質が、どのように現在の様々な問題を引き起こすに至ったのかを解き明かしていただきます。

  • 戦後日本の本質は「自国政府への不信」
  • 平和のために貧困に耐えろ!?
  • 憲法9条と財政法4条
  • 戦後保守が対米従属に向かう理由
  • 平和主義と新自由主義の共通点
  • 対米従属というナショナリズム!?
  • 語られない占領軍総司令部の「二重性」
  • 安保条約に埋め込まれた構造改革路線
  • 富国強兵と貧国無兵
  • 日本は没落を脱しうるか?

根深く多様な問題の経路と、必然的帰結としての現在の「没落」との関連性に、必ずや衝撃を受けられることでしょう。会員の皆様は、是非楽しみにお待ち下さい。

それでは、また。

今日も皆様にとって幸多き1日になりますように。

日本のよりよい未来のために。

私達の生活、子ども達の命を守るために、ともに歩んでいけることを切に願っています。

リアルインサイト 今堀 健司

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