おはようございます。リアルインサイトの今堀です。

いつも、さまざまなご感想やご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。とても励みになるとともに、勉強させていただいておりますので、今後も是非ご遠慮なくお願いします。

さて、本日のタイトル、

「必ずや名を正さんか」

は、『論語』の子路(しろ)篇に登場する言葉です。

子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎(後略)

子路曰わく、衛の君、子を待ちて政(まつりごと)を爲さば、子、將(まさ)に奚(いず)れをか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さん乎(か)。(子路篇13-3)

※書き下し文は

『論語 下』(吉川幸次郎著, 朝日選書, 1996年)

に拠りました(同書P.112)。

政争が続いて社会秩序が乱れていた、戦国時代に近い春秋末期の衛(えい)の国について、高弟の一人、子路が孔子に尋ねます。

「先生が衛に招かれて政治を任せられたら、まず何をなさいますか」

孔子の答えは、子路の予想とは全く違うものでした。

「必ずや名を正さんか」

ここで「名」というのは論理としての「言葉」を意味します。政情が混乱する国にまず必要なのは、一見迂遠な「正名(名を正すこと)」であるとしたわけです。

その理由は、

「『名』が正しくなければ言論も順当でなく、言論が順当でなければ諸事はうまくゆかず、諸事がうまくゆかなければ文化も豊かにならず、文化が豊かでなければ法律も適切でなく、法律が適切でなければ民衆の日常生活にも支障が生じるのだ」

というものでした。

※この解釈は、私の尊敬する知識人で、ザ・リアルインサイト2018年3月号の講演会にもご登壇いただいた、

評論家の呉智英(くれ ともふさ)氏のご著作、

『言葉につける薬』(呉智英著, 双葉社, 1994年)

の記述(同書P.12-13)を引用しましたが、別の解釈もあります。

子路は、『史記』に拠れば三千人いたといわれる孔子の弟子の中で、最も優れた十人を指す「孔門十哲」の一人ですから、優秀な人物であったことは間違いないでしょう。『論語』に登場する回数が最も多く、孔子に愛された弟子として知られています。しかし、孔子は子路の勇敢さを称えつつ、その
軽率さを度々窘めてもいたようです。

そして、

「恐らく、尋常な死に方はしないであろう」

という孔子のつぶやきは、不幸にも現実となってしまいました。衛国に出仕した子路は、内乱に巻き込まれて命を落としますが、最期に

「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

と叫びます。

『弟子』(中島敦著, 青空文庫)

全身を膾(なます)のごとくに切り刻まれた子路の亡骸が醢(ししびしお, 塩漬け)にされ晒し者にされたと聞いて、孔子は家にあった一切の塩漬け肉を捨てさせたそうです。

そして、七十三歳の時に子路を亡くした孔子も、翌年七十四歳でこの世を去りました。

※ここまでは、呉智英氏の

『現代人の論語』(呉智英著, 文藝春秋, 2003年)P.107※文庫版

を参考にさせていただきました(同書は、とても良質な『論語』入門書だと思います)。

少し話が逸れましたが、孔子が最愛の弟子に語った言葉、

「必ずや名を正さんか」

に戻ります。

お伝えしたいのは、

「論理としての言葉の乱れ」

が、現在の社会や政治にも大きな混乱をもたらしているのではないかということです。以前ご紹介させていただいた「ディストピア小説」の名作、

『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著, ハヤカワepi文庫,2009年)※原書初版は1949年刊行

の舞台で、核戦争後の世界を分割統治する三大国の一つであるオセアニアでは、言葉が破壊され、意味を転換され、語彙が削減され続けることで、徹底した思想統制が図られています。国民は、政府に対する反抗を語る言葉すら奪われているのです。

主人公のウィンストン・スミスの職業は、四つの省庁の一つ、「真理省」の役人なのですが、彼の仕事こそずばり、

「歴史の改竄」

です。

具体的には、独裁を行う「党」にとって都合の悪い記録や新聞記事等を抹消し、

新たな歴史を捏造する

というものです。つまり、「真理省」というのはその名称に反し、思想統制を強化するために存在するプロパガンダ機関なのですね。

ちなみに、真理省以外の省庁の名称と役割は、以下のようなものです。

平和省:軍を統括し、「平和のための」戦争を維持し続ける

豊富省:物資の配給と統制を行う(実際には絶えず欠乏状態)

愛情省:反体制分子に対して尋問と拷問を行う

これら省庁の名称のみならず、「党」は言葉の意味を反転させたり、イメージを変更したり、語彙を制限したりしている他、ニュースピーク (Newspeak)という語法を用いて、オセアニア国民の思考を単純化させ続けています。

その上、国民は「テレスクリーン」という双方向テレビジョンや、街中にしかけられたマイク等で、常に監視状態に置かれているという、

暗黒社会

が描かれています。

ウィンストンが仕事で、過去の新聞記事を「修正」するシーンは、以下のようなものでした。

ウィンストンはテレスクリーンの”バックナンバー”をダイヤルし、<タイムズ>の該当号を請求した。するとそれは数分のうちに気送管から流れ出てくる

『一九八四年』P.63

電子データではなく物理的な紙が送られてくるというところに時代を感じますが、まだ「テレックス」しか存在していない、戦後間もなくの時期に書かれた小説としては、驚くべき想像力ですね。

救いのない暗い社会を描いた物語ではあるものの、単純に読み物として非常に面白いので、未読の方は是非お手に取っていただきたいと思います。

さて、簡単に設定をご紹介した限りでは、荒唐無稽な物語のようにお感じになったかもしれまんが、このような社会が到来することが、絶対にないと言い切れるでしょうか。

孔子の言葉のように、社会がおかしくなるときは、言葉からおかしくなっていくのではないかと考えれば、気がかりな事実はいろいろとあります。

『一九八四年』の世界では、強制収容所が「歓喜キャンプ」と言い換えられているのですが、移民を「外国人材」と言い換えたり、戦闘を「衝突」と言い換えたりすることに、問題がないと言えるでしょうか?

刑法第186条で禁じられた「賭博場の開帳」解禁を主眼とする法律を、「IR(統合型リゾート)整備推進法」と名付けたり、二度廃案になった「共謀罪」を、「テロ等準備罪」に変更してみたり、規制の破壊実験を行う地域を「国家戦略特区」と呼んだりする
ことについては、どうでしょうか?

言い換えによる曖昧な言葉の多用は、物事の本質を見えづらくさせ、結果として誤った選択を実現させてしまう危険性を拡大させているのではないでしょうか。

もちろん、こうした言い換えによる誘導は、なにも政権与党だけが行っているわけではありません。

例えば、既に忘れ去られたようにも思える

「安保法制(平和安全法制)」関連2法の成立時の混乱において、野党は

「戦争法案」

という言葉を多用していました。

こうしたイメージ操作は、問題を深く議論する上で、寧ろ障害になっていた可能性すらあるように思います。

また、昔から護憲派勢力が用いていた

「憲法改悪」

という言葉も同様ですね。

法律の条文を変更することを「改正」と言いますが、それは変更内容自体が正しいことを意味しません。

当たり前のことながら、

「良い改正」もあれば「悪い改正」もあるでしょう。

しかし、最初から「改憲」を「改悪」と呼んでしまえば、結論ありきの思考停止に陥ってしまわないでしょうか。

残念ながら、言葉の言い換えやごまかしを始めとした手法で、国民の大多数が知らない間に、重大な法案が可決され、

急進的な改革

が凄まじい勢いで進められてしまっているのが、現代の社会です。

「改革」

そのものが悪ではないとしても、必要のないものや弊害の方が大きいものもあります。ましてや、国民の大多数が知らなかったり、内容を理解していない改革を急ぐのは、一体誰のためなのでしょうか?

これは、何も我が国に限ったことではありません。日本でも、「民間議員」が強い影響力を持つ様々な諮問会議によって、急進的な改革が推し進められてきましたが、アメリカでは、巨大な多国籍企業が、連邦議員一人当たり数十人もいるといわれる、

「ロビイスト」

を多額の報酬で動員することで、様々な法案を通し続けています。その手口の一つをご紹介しますと、

議会や国民が反発しそうな法案ほど、難解な用語をちりばめて、ページ数を極力多くする。これはワシントンのロビイストたちの間ではすでに<お約束>になっている。だが念には念を入れ、事前に読破されないように、法案は採決当日に各議員の部屋に届けるように手配した。最初は共和党議員数人が反対に回ったため成立にいたらなかったが、ロビイストたちはそんなことで簡単にあきらめはしない。(中略)この一連の動きが国民に知られないよう、採決自体は深夜にひっそりと行われた

『沈みゆく大国アメリカ 〈逃げ切れ! 日本の医療〉』(堤未果著, 集英社新書, 2015年)P.115

という、騙し討ちに等しいものすらある始末です。

これは、アメリカのメディケア(Medicare,高齢者・障害者向けの公的医療保険制度)だけが持つ「薬価交渉権」を奪うために、大手製薬会社の意向を受けたロビイストが展開した動きについての記述ですが、用意された法案はなんと、

「1000ページ」

という膨大なものだったそうです。

「保険料が年間2500ドル下がる」

とオバマ大統領が公言して導入された

「オバマケア」

の実態は、日本の社会保険制度である「国民皆保険」とは似ても似つかないもので、保険料に制限のない民間医療保険への加入を義務付けた上、違反者には罰金を課すという過酷なものでしたが、その法案に至っては前代未聞の

3000ページ

にも及んだそうです(同書P.109)。

国民に重要な法案の意味を知らせないどころか、採決を行う議員にすら内容を明らかにしないという驚くべき手法がまかり通るようになったこの国の政府は、ご存じのように我が国にも、様々な要求を突きつけ続けています。

日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話・・・、名前は変われども、行われているのは執拗な規制緩和要求に他なりません。

自国民に対してさえ、過酷な政策を取り続けてきたアメリカ政府が外国である日本に容赦する理由など、おそらくどこにもないでしょう。

こうした要求に唯々諾々と従ってきた日本国内では、

  • 問題がきちんと報道されない
  • 一方的な主張しか伝えられない

といった事態と並んで、

  • 本来の目的から目を逸らされるような言い換えによるミスリード

も増大してはいないでしょうか?

「必ずや名をたださんか」

孔子は、混乱した世の中を治めるには、迂遠に思えても言葉を正すことが最重要であるとしましたここから学ぶべきことは、現在を生きるだけでなく、子孫への責任を果たすべき我々にとっても、決して小さくないのではないかと思います。

それでは、また。

今日も皆様にとって幸多き1日になりますように。

日本のよりよい未来のために。

私達の生活、子ども達の命を守るために、ともに歩んでいけることを切に願っています。

リアルインサイト 今堀 健司

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